妄想サンバ

助走をつけた妄想がやがて暴走していく文章になる

この支配からの

 掠めた単位で卒業す~ 進学先もわからぬまま 暗い人生闇の中へ~

 というわけで卒業した。三年間クソみたいな高校に通っていたので特に何の感慨もない。

 うちの高校の卒業式は毎回派手だったのだが、今年からは標準服(制服のようなもの)を着用して参加するようにとの通達があった。それまでは袴を着ている生徒が多かった。

 高校生程度の貫禄で袴を着られてもこちらとしては噴飯物でしかないんだが、そこは我がU高校、頭のネジが吹っ飛んでそのままトリプルアクセルしているような連中なので、通達については完全に無視を決め込み、本土に舞い降りたダグラス・マッカーサーのような衝撃を周囲に与えながら袴姿のまま乱入してきた。

 よりによって自分がいたクラスは学年主任が担任をしていたのだが、その学年主任の横に並んで立っている女子はバリバリの袴姿。昭和天皇マッカーサーが並んだ写真の現代版はおそらくこんな感じになると思われる。

 肝心の卒業式だが、寒そうなところで吹奏楽部の部員が大してうまくない演奏を延々と披露しているところに同情し早くも涙を流しかけた。国歌斉唱はそもそも君が代歌いづらいし風邪気味だったので自重した。隣の韓国人の女の子が歌っていたのは驚いた。起立していない教師を探そうとしたが、生徒が邪魔で見えなかった。

 卒業証書授与。生徒数が多いので一人ひとりが壇上に上がるのではなく代表者が貰い受けるという手法。担任から名前を呼ばれて「はい」と返事をするだけだ。途中誰か「いいえ」と言わないものなのかなと思っていたがそんなこともない。

 校長の話。よく覚えてない。なんか、挑戦しましょうみたいな話だった気がする。途中涙ぐんだのか声が震えていたが、そもそも三年生になってからやってきた校長に大して世話になっているわけでもないし、泣かれてもそれはそれで困るなあという感じ。

 来賓の話。PTAの人の話はかなり短かった。「ありがとう」の一言で済まされたと思う。もう一人の来賓は同窓会の会長の話だったんだが、まず歩くのが遅いハンプティ・ダンプティみたいな体型している爺さんだったのが気がかりで、話している途中で次の言葉を忘れ、虚しく息の音がマイクに乗って体育館に響いている。これはシュールなコントかなと思っていると、思い出したように話し出す……というのを繰り返していた。生きているのか死んでいるのかよくわからなかったが、話してたんで多分生きていると思う。

 その後は校歌斉唱。歌詞を覚えてなかったので歌わなかった。そして退場。退場する際に今までありがとうございましたと担任に挨拶しようと男子に提案されたが、オレは特にありがとうございましたとも思ってないので頭も下げずに無視した。

 写真撮影。女子高生の自撮りにただひたすらピースサインだけを残していった。数年後のアンビリーバボーでもし奇っ怪なピースサインとして紹介されていたらオレだと思って欲しい。

 というわけで卒業式は終わった。といっても俺は浪人なのでもう一年プラスされるわけだが……。

 

Alpha貧乏

 あまりの貧乏っぷりに涙ナミダの大嵐。高校で一番親しい友人(親友と呼べるかもしれない)達との遊びの誘いを「金が無いから」の一言で断らねばならない精神的なあれこれは異界大戦争を引き起こし、やがて心のなかの満州国を設立するに至る。

 今日の晩飯は卵かけごはん。みなさん、僕の体格は180cm100kgなので、当然これで満足することは出来ません。つーか、3人家族で住んでいるのに晩飯卵かけごはんってどういうことだよ。アインシュタインもびっくりだよ。

 こういう極貧状態に追い込まれている理由はひとえに「親父が働いてない」から。無職になった親父は家で酒を飲みタバコを吸い映画を見るだけ。たまに会社の人間と連絡を取り合っているらしいが、会社に行く素振りも見せないし、この前家族で外食に行った時に「会社をやめた」ということを堂々と自慢気に話し、母親もこれに同調していたので、まあこの家族は全体的に終わっているということだ(もちろん、オイラも含めて)

 こういうことを言うと「バイトすりゃいいじゃん」と言われ(母親からも親父からも言われる)るのだが、冷静に考えてみて、最近ようやく勉強の意識が目覚めた浪人生に対して「バイトしろ」というのはつまり「一生高卒でいろ」ということであって、事情を知らない周りならいざ知らず。両親まで言うのは一体全体どういうことなんだい? そしてオレは嫌なキモチになり地方の国立を目指すことになったのさ(東大目指すキモチが1%くらいあるし旧帝大目指すキモチが11%ぐらいある)。

 ところでAlphaGoが韓国のトッププロ棋士に勝ったらしい。人工知能についてはよく分からないが、そもそも我らが大山康晴が1986年には「コンピュータに勝てるわけがない」とコメントしているので、あまり衝撃がない。電王戦開始時期からずっと思っているが、コンピュータ対人間というのは異種格闘技戦のようなもので、人間対人間だからこそ生まれる面白み、みたいなものはあるだろう。それは、羽生善治を見ている人達にとって、余計に痛感させられる出来事ではないか。

 Alpha貧乏というソフトがある。これはオレの心のなかにしかインストールされていないものだ。Alpha貧乏は貧乏人が次にやるべき最適な行動を示してくれるソフト。さて、今の状況を条件にして最適解を教えてもらおう……。

 最適解:自殺

日記

3月5日(土)

 8:30に寝て14:10に目を覚ます。父に朝2000円をせびっていたが、無事居間のテーブルに2000円を発見する。歯磨きをすると、黄色いTシャツとグレーのジャージ風のズボンに着替える。上にユニクロライトダウンジャケットを羽織、タオルと予備の着替え、文庫本を持って出かける。

 14:50に秋葉原到着。腹痛によりトイレへ。トイレの床が濡れていて腹を立てる。排泄後、ウォシュレットがないことに更に腹を立てる。15:15ゲームセンター着。

 すでに人が並んでいたが、順当にダンスダンスレボリューションをプレイする。席を譲らないドグサレマンコ、笑顔でプレイするカップル。オタサーの姫。友達が来た途端声を大きくして群れ始める気持ち悪い人間達に挟まれる限界状況を三時間耐える。

 18:30にゲーセンを出て東京メトロ秋葉原駅へ。帰り際に途中ヨドバシカメラによるが本屋が有る七階は未だ工事中。腹を立てる。

 19:00に電車から降りると父から電話で飯は自分で食えとのこと。スーパーに寄って高い弁当を二つほど買ってから帰宅。日本代表と台湾代表の野球強化試合を見ながら弁当を食べる。試合展開がつまらないので腹を立て布団に入る。

 布団に入ったものの寝られずにTwitterを見たりニコニコ動画を見たりする。父が帰ってくる。腹を立てる。母が帰ってきてすぐ寝る。ようやく布団から出てパソコンを起動するが、やることもないので本を読む。

 4:30ごろ本を読み終わる。暇なので顔を洗う。どうせなら風呂に入ればよかったと後悔する。

 7:00ごろ就寝。

 

 最近、音楽を聴きながら寝るのがマイブーム。先月頃から始めた。というのも、起きている間はあんまり音楽を聴かないからで、せっかく曲は揃っているのにもったいないと思ったから。最初はアニソンなど歌詞のある曲を中心に聴いていたが、歌詞のある曲だと歌詞に集中して眠れなくなるため、ここ最近はYMOをよく聞いている。「公的抑圧」はとても気持ちよく寝られると思う。高橋幸宏のドラムを注意して聴いている。

 YMOに出会ったのは高校に入ってからなので(どういう経緯でファンになったかは忘れたが)、あんまり長い付き合いではない。好きな曲と嫌いな曲、もっと言えば退屈な曲がある。オレが好きな曲は、東風とかTHE END OF ASIAとか京城音楽とか。嫌いな曲はPURE JAMとか、そこらへん。TECHNODELICは名盤であるとは思うが。

 こういうとりとめもない話をして精神衛生の復活を図っている。最近本を読んでいると精神衛生がよくなることに気付いたからで、つまりこれって何か考える暇もなく何かを考えたほうがいいということだよな。

 Twitterをやめようかとも思っている最中だけど。

幸せ

 幸せ。

 幸せってなんだ?

 一体何が幸せで何が幸せじゃないんだろう。

 おい! 誰か助けてくれ! 俺を幸せにしてくれ!

 

 ところで、幸せなら手を叩こうという歌があるが、あれは両腕がない人はどうなってしまうんだろう。手をたたけないから幸せじゃないのか? そもそも叩ける手がないから幸せじゃないのか? 断言できるのは、こんな歌を作った奴は絶対に幸せじゃないということだ。幸せな人間は、今この時間を幸せだと感じることはない。例え感じたとしても、それを自らの身体の行動によって表現(再確認)することはない。幸せな時間というのは、それが過ぎ去った後で確認することなのだ。

 つーか、幸せな人間が「幸せなら手を叩こう」って言って手を叩く訳無いじゃん。メンヘラか? 幸せな人間ってのはメンヘラのことなのか!?!?!?!? おい!!!!!!!

 幸せな人間が「私って今幸せな人間かな?」と思うだろうか。「私って今幸せな人間かな?」と思うのは、結婚出来ぬまま40になった女とか、家族の中で孤立したニートとか、ブラック企業に勤め死んだ目で電車に乗っているサラリーマンとか、とにかく「今幸せな人間ではない」奴らが思うことだろう。

 俺は幸せではない。幸せな人生を歩んできたこともないし、これからも歩むことはないだろう。幸せになる資格がない。幸せというのは、引いては幸せな人生というのは、それに向けて、ひたすら努力してきた人間が最終的な到達地点として用意されているもので、そもそも俺は努力してないので、幸せになる資格などないということだ。

 言い訳させて欲しい。

 幸せは努力した人間のみが到達できると書いたが、実はみんなスタート位置が異なる。今の社会はそうなっている。人生みんな平等にスタートということはない。ということで、スガシカオの「Progress」なんかに感動している奴は、それだけで頭が幸せな人間なんだが、そんなことはどうでもよくて、どういうことかというとつまり、イケメンはスタート位置が幸せまで近い。それはそうだ。同じ人間なら顔がいい方に決まっている。家が金持ち。これもスタート位置が幸せまで近い。次に頭のいい奴。こいつはスタート位置が幸せまで近い。家が金持ちとか、顔がイケメンとか、そういう奴らよりも近いかもしれない。幸せまで最短距離で突っ走るからだ。最後に性格がいい奴。イケメンとか金持ちとか頭がいいとか、そんな奴らよりかは派手な幸せは望めないかもしれないが、そいつなりの幸せを確実に獲得出来るだろう。性格がいい奴は破滅しない。性格がいい故に、人が寄って来るからだ。

 で、俺。

 まず顔が悪い。絶望的な顔の悪さ。人間の顔をしていない。どういうDNAを引き継いだらこんな絶望的な顔になるのか。俺の顔を持つというだけで、自殺する理由には充分だ。

 次に家庭状況が最悪。まず貧乏。次に両親(特に親父)の金遣いが荒い。金が無いのに毎日酒を飲みタバコを二箱以上吸っている。後あんまし働いていない。両親の性格も最悪で、よくこんな人間に育てられてこれくらいしかグレてないなと自慢出来るくらいである。

 その次は頭が悪い。俺の頭の悪さは天下一品。鈍いし魯鈍。どんくらい頭が悪いかというと、魯鈍の魯って亀に似てるよね~とか言っちゃうタイプの頭の悪さ。しかも頭のいいやつに嫉妬している。俺は頭が悪いのに。ちなみにガチでマジで頭は悪いぞ。冗談じゃない。

 最後に性格が破綻している。グレてるし、一般的な社会常識に照らしあわせて、俺は人格面で最低だ。嫉妬し、他人をあざ笑い、自分に甘い。情とかなくて、常に言い訳ばかり。今もそうだ。

 というわけで、俺の人生はスタート位置から最も幸せに遠い。ここまで何も揃ってない奴は逆に珍しい。俺は幸せになれない。どんなに頑張っても幸せになることは不可能だ。だから努力をやめるのも仕方がないと思う。すくなくとも俺はこんな現状で努力することなんて不可能だ。どんなに努力してもスタート位置がいいやつには勝てない。そんな状況で努力して何の得がある?

 と、俺は現実逃避して、昼過ぎに起きて、深夜アニメ見て、タバコすって、首吊り用のロープに手をかけてやっぱり手を離す。そういう毎日を送っているのさ。

 

 あ、一番最初のポエムっぽいのはBLEACHの単行本の最初のページについてくるアレだと思ってください。

自律

 タバコの煙が換気扇に吸い込まれていくのを眺めていたら、これはおれの吸ったタバコの煙なのか、それとも親が吸ったタバコの煙なのか、家に染み付いた煙がおれには見えるのか、そんなことは別に考えていなかったし、当面の生活について考えていたとは思うが、おれがタバコを吸っている時は大抵ド鬱なんで、多分、当面の生活など考えられぬほどに人生の辛さに直面していたと思う。
 この人生への辛さが思春期特有のものなら、さっさと消え去ってくれと願いながら時が経つのを待てばいいが、そうでない場合は厄介で、つまりいままで生きてきた全てがおれに跳ね返ってきている訳で、それはおれの枷となるし、これを四字熟語で表すと自縄自縛らへんになると思うが、そんなライトノベルチックな洒落た言い回しは即座にパッと思いつくものではないから、やはりトイレの便座の上のおれは、涙を流しながら、「辛い」とか「疲れた」とか言っていたと思う。
 普段はそうでもないんだが、深夜とかそういう時間帯になると前触れもなくそういう現象がザーッと到来して、当分拭えず、でも寝たら治っていて、そしたら何する訳でもなく怠惰な1日を過ごすという生活なんで、まあおれは現在進行形で自分を縛り上げている訳だ。かといって今更自分を律するといってもそんなことは出来ない。何よりも、親父がいる。親父は普段からおれの不出来を詰っているくせに、おれが自分を律しようとするそぶりを見せると、牽制するかのごとくバカにしてくるし、おれは何よりもそういうバカのされ方が耐え難い性格なので、親父がいる間では、勉強やダイエットなど出来そうもないのが実情だ。
  また、親だ。何かと言えば親を出して言い訳をする自分を情けなく思う。勉強したいなら図書館に行けばいいし、ダイエットがしたいなら親が寝た後にでもやればいい。おれがそれをしないのは、たとえ図書館に行っても本を読んで過ごすかスマホをいじって過ごすかで、親が寝た後でもポテトチップスを食うかだからだ。おれは自分を律することができない。助けてほしい。どうやったら自分を律することが出来るんだろう。少しでも自律が出来たら、おれの生活も好転するはずだ。
 でもおれは知っている、こんなことをこんなところで募ってもおれは実践しない。おれはそんなおれが大嫌いだ。醜い自己顕示欲を膨らませていつかできる、おれはきっとやれると根拠のない自信を抱いたまま、しかし何もしようとしない男だ、おれは。そして、その現状がわかっているのにもかかわらず何をしようともしない人間なんだ。
 ここは地獄だ。助けてほしい、おれはどうすればいい?
 

学校

 

 記憶している限り定かではないが、今日は登校日という謎のものがあり、久しぶりに学校へと向かうと、やれ髪が伸びただの、目に光がないだの、進路はどうだの、云々と言われたため、いらつきのあまり大量虐殺を引き起こしてしまったのだが、これはけしてゲームからの悪影響ではないということをお断りしておく。

 進路を決めた人が云々というもので、オレはまだ進路は決まってないのだからそんなものをするわけもなく、また後輩へのアドバイスどころか、むしろオレにアドバイスをくれよというかたちで、全く学校に行った意味はなかったが、とりあえず同級生と会って話をしただけでもよかった。まともに人と話していない期間が続いていたので、見知った顔と気兼ねなく話ができるという環境はいいリフレッシュになった。

 その後、友人達とラーメンを食いゲームセンターで金を無駄に使い、カラオケボックスに到着すると、一人が「おまんこ」と叫び出し、おいらもそれに「おちんぽ」と反応、もう一人が仲裁するかのように「アナル!」と叫び、そこが「おまんこ」と「おちんぽ」と「アナル」の爆音上映会のような様相で、歌などそっちのけ、「ラブライバー死ね」「ヤラせろ」「(カラオケ映像に登場する女性を見て)誰だこのブス」などと激怒・絶叫・発狂の三連コンボ。タンバリンをテーブルに叩きつけて大笑いし、隣の部屋の歌声が聞こえようものなら、壁にめがけて「セックス」「おちんぽはいっちゃう」「女の子になる~」「下手くそな歌をやめろ」「安倍政治を赦さない」「野党は連立」「おちんぽびより」などと考えうる限り最も意味のない言葉を連発し、快適で充実したカラオケライフを全力で阻害し、覚醒剤を打っているのか、いや覚醒剤なくしてここまで狂えるのは一体どういうことなのか。まるでそこに本物の楽器があるかのようにエアギターを披露する国立大学受験を三日後に控えた友人と、キーボードの音色が美しいオイラ、ノリノリでドラムを叩くH君などは日本大学藝術学部に進学先を決めて、妙にスタッカートが効いた歌声を披露する彼は最近性欲がなくなったと語るリョナラー。ここが地獄でなければ他に地獄などあるのか、一生分の絶叫を吐き出し、怨嗟の中に希望はなく、最後の一時間などはみな一様に目に涙を浮かべて心の奥底では、いやもう表層の部分まで、「もう嫌だ、返してくれ」と願いながら、しかし口を突く言葉は性器と性行為と体位とそしておっぱいなのだ。カラオケの利用時間が規定の時間に達すると、心の底から安堵し、精神的に失禁し、物理的にも半ば失禁し、目に浮かべているものは糞尿で、なぜかビニール袋を食べている者や、カラオケの筐体にむかって腰を振っているもの、ジャンプしながら四方八方の回に「聞こえますか」と叫び散らし笑いながら激怒している者がいて、宴も酣、最後はカラオケ後、大雨の降りしきる中上野駅までダッシュでゴー。月曜日から宴会をしているサラリーマンを自転車で轢き殺し、どこからどう見ても高校生なのに客引きをするダッフルコート姿の姉ちゃんを嬲り殺し、途中高島屋を爆破し、上野駅聖火リレーは終了、火はとっくに消えちまった。もう許してくれ。ここから出してくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!お前は誰なんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 家に帰って麻婆豆腐を食べました。美味しかったです。