妄想サンバ

助走をつけた妄想がやがて暴走していく文章になる

幸せ

 幸せ。

 幸せってなんだ?

 一体何が幸せで何が幸せじゃないんだろう。

 おい! 誰か助けてくれ! 俺を幸せにしてくれ!

 

 ところで、幸せなら手を叩こうという歌があるが、あれは両腕がない人はどうなってしまうんだろう。手をたたけないから幸せじゃないのか? そもそも叩ける手がないから幸せじゃないのか? 断言できるのは、こんな歌を作った奴は絶対に幸せじゃないということだ。幸せな人間は、今この時間を幸せだと感じることはない。例え感じたとしても、それを自らの身体の行動によって表現(再確認)することはない。幸せな時間というのは、それが過ぎ去った後で確認することなのだ。

 つーか、幸せな人間が「幸せなら手を叩こう」って言って手を叩く訳無いじゃん。メンヘラか? 幸せな人間ってのはメンヘラのことなのか!?!?!?!? おい!!!!!!!

 幸せな人間が「私って今幸せな人間かな?」と思うだろうか。「私って今幸せな人間かな?」と思うのは、結婚出来ぬまま40になった女とか、家族の中で孤立したニートとか、ブラック企業に勤め死んだ目で電車に乗っているサラリーマンとか、とにかく「今幸せな人間ではない」奴らが思うことだろう。

 俺は幸せではない。幸せな人生を歩んできたこともないし、これからも歩むことはないだろう。幸せになる資格がない。幸せというのは、引いては幸せな人生というのは、それに向けて、ひたすら努力してきた人間が最終的な到達地点として用意されているもので、そもそも俺は努力してないので、幸せになる資格などないということだ。

 言い訳させて欲しい。

 幸せは努力した人間のみが到達できると書いたが、実はみんなスタート位置が異なる。今の社会はそうなっている。人生みんな平等にスタートということはない。ということで、スガシカオの「Progress」なんかに感動している奴は、それだけで頭が幸せな人間なんだが、そんなことはどうでもよくて、どういうことかというとつまり、イケメンはスタート位置が幸せまで近い。それはそうだ。同じ人間なら顔がいい方に決まっている。家が金持ち。これもスタート位置が幸せまで近い。次に頭のいい奴。こいつはスタート位置が幸せまで近い。家が金持ちとか、顔がイケメンとか、そういう奴らよりも近いかもしれない。幸せまで最短距離で突っ走るからだ。最後に性格がいい奴。イケメンとか金持ちとか頭がいいとか、そんな奴らよりかは派手な幸せは望めないかもしれないが、そいつなりの幸せを確実に獲得出来るだろう。性格がいい奴は破滅しない。性格がいい故に、人が寄って来るからだ。

 で、俺。

 まず顔が悪い。絶望的な顔の悪さ。人間の顔をしていない。どういうDNAを引き継いだらこんな絶望的な顔になるのか。俺の顔を持つというだけで、自殺する理由には充分だ。

 次に家庭状況が最悪。まず貧乏。次に両親(特に親父)の金遣いが荒い。金が無いのに毎日酒を飲みタバコを二箱以上吸っている。後あんまし働いていない。両親の性格も最悪で、よくこんな人間に育てられてこれくらいしかグレてないなと自慢出来るくらいである。

 その次は頭が悪い。俺の頭の悪さは天下一品。鈍いし魯鈍。どんくらい頭が悪いかというと、魯鈍の魯って亀に似てるよね~とか言っちゃうタイプの頭の悪さ。しかも頭のいいやつに嫉妬している。俺は頭が悪いのに。ちなみにガチでマジで頭は悪いぞ。冗談じゃない。

 最後に性格が破綻している。グレてるし、一般的な社会常識に照らしあわせて、俺は人格面で最低だ。嫉妬し、他人をあざ笑い、自分に甘い。情とかなくて、常に言い訳ばかり。今もそうだ。

 というわけで、俺の人生はスタート位置から最も幸せに遠い。ここまで何も揃ってない奴は逆に珍しい。俺は幸せになれない。どんなに頑張っても幸せになることは不可能だ。だから努力をやめるのも仕方がないと思う。すくなくとも俺はこんな現状で努力することなんて不可能だ。どんなに努力してもスタート位置がいいやつには勝てない。そんな状況で努力して何の得がある?

 と、俺は現実逃避して、昼過ぎに起きて、深夜アニメ見て、タバコすって、首吊り用のロープに手をかけてやっぱり手を離す。そういう毎日を送っているのさ。

 

 あ、一番最初のポエムっぽいのはBLEACHの単行本の最初のページについてくるアレだと思ってください。