妄想サンバ

助走をつけた妄想がやがて暴走していく文章になる

夢であってくれ俺の人生

「夢になるといけねえ」とは有名な落語の演目芝浜の一節だが、一応20年くらい生きてみて感じたのは世の中「夢になるといけねえ」ことより「夢であってくれ」と思うことが多いということだ。

 たとえば痩せようと思っているのにバケツいっぱいのケンタッキーをもぐもぐと食べたのは夢であってほしいし、今日も無駄に一日過ごしていて、せっかく朝の八時に起きたのに気づけば午後一時くらいまでずっと天井を眺めていたとかは普通に今でも夢だと思っているし、睡眠薬を飲んで暴れまわって家に警察が来た時も、記憶が曖昧なので余計に夢っぽい。

 ただ、「夢であってほしい」と思った時点で現実に起こった出来事だし、俺が殴って折った母親の肋骨なんかはまさしく夢であってほしい出来事だと思うが、現に診断書がそこにある。

 でも夢なのかどうかわからない記憶が自分の中にあるときもあって、例えば夢から覚めたら祖母の家にいたのでまた睡眠薬を飲んで変なことをしたらしいと思って帰路についてもう一眠りするか……と眠りに落ちて目覚めたら、一連のシークエンスは全部夢だったということがあり、そういう時は結局オレの人生全部夢じゃん。

 俺の人生全部夢だったらいいのにな、だとしたら目覚めたときの俺は一体どういう俺なんだろう……痩せていて女の子にもてていて賢いインテリだったら完璧だが、それこそ夢で、俺の人生マジなんなんだよ。尊い20年間を返してくれよ。もう一回人生をやり直したい……。

 もう一回人生をやり直したら一体どうなるのだろうか? 俺はきちんと勉強して大学に行っているだろうか? 鬱にはなってないだろうか? いろいろな後悔が全部産まれる前に返ったら、俺という人間はもう俺じゃなくなっているんじゃないのか。

 オレオレ言い過ぎだろ、オレオレ詐欺か?

 最近フォロワーとSkypeで通話してたら「君は他人のことを考えすぎだし、もっと自分を大事にしてもいいと思う」と言われてだいぶ救われた。そう、俺って他人のことを考えすぎだったのだ。意外といい人なんですよ僕は……。

 でも救われたってもその後も普通に睡眠薬でラリって自殺未遂を繰り返していて、全然自分のこと大事にしてないじゃん俺。こうして他人のアドバイスも自分の決意も自分の体も周囲のことも大切にできないまま大人になって死んでいくのかな……。それは嫌だな……。

 というわけで一つだけ夢であってほしくないことができた。今自分が生きているという事実だ。