妄想サンバ

助走をつけた妄想がやがて暴走していく文章になる

消えたい

 Twitterからブロックされるとそこそこショックも大きいもので、それは親しければ親しいほど大きなものだけど、今日突然ある人にブロックされてとてもショックが大きいので拙い日本語になると思うがよろしく頼む。

 発端はハッシュタグをつけて好きなアニメを当ててもらうというようなつぶやきをやっていたところで、おれもそれに便乗して作品タイトルの頭文字だけを掲載したつぶやきを投稿した所、ほどなくして「健常が移ってしまう」というようなことをタイムラインのなかに見つけ、おれはすぐにそれを削除し、彼はきっとおれが普段からやっている「発狂芸」や「孤独芸」のようなものを望んでいると思い、精神障害者のように怒涛のごとく執拗に、丁寧な言い回しで謝罪文を掲載したところ、唐突にブロックされてしまったというのが事の顛末である。

 おれはとても不可解だと思い、一体これはどうすればよかったのか悩んでいる。怒涛のような謝罪文は、一種のユーモアとして受け取ってくれると思っていたし、なによりあのランキングはおれ自身とても恥ずかしい代物だなあと少し後悔しているところだったので、怒涛の謝罪文の中にそういう健常者と呼ばれる集団やそれにヘイトする集団の馴れ合いを批判する文脈も込めていたのだが、それを挑発と取られてしまったのがオチだろう。

 事実おれはおそらく精神障害者ではないので、健常が移ってしまうという言い回しに少しムカついたし、それについて真っ向からやりあうのではなくこういう形でユーモアとして消化することが一番両者にとっていいことだろうと思っていたが、どうやら相手はユーモアとして受け取ってはくれなかったようなので、これについての落ち度は完全におれにあると思う。かれはもうこのブログも見ていないだろうけども、これについて謝罪したい。申し訳ない。

 ところで、みなさん(このブログを読みおれのTwitter[@Entropy_Rainbow]までフォローしている物好きなかたがた)はおれに一体何を求めているのだろうか。

 おれは最近おれがわからない。少ないとはいえ200人ほどの人がおれをフォローする中で、一体おれに何を求めてフォローし続けているのだろう。おれと相互フォロワーのみなさんは、おれなんかとは比較にならないぐらい素晴らしい方々で、正直、みなさまの期待におれが応えられていないと思っているし、そしてそれは今後もそうだろうと思っている。

 いま、おれは普段通り「発狂芸」「孤独芸」と記述した。受け手はどうかわからないが、おれは発狂もしていないし、孤独でもない。いや、発狂のほうは、こんな文章を書いている時点でしてしまっているかもしれない。

 おれはいまTwitterで何を求められているのか分からなくて辟易している。みなさんの期待に少しでも応えられるよう、言い回しをオーバーにしたり、架空の事実を作ってみたりと試行錯誤を続けているが、果たして本当にいまおれがやっていることが面白いかといえば疑問で、それはみなさんの反応の鈍さを見れば分かる。

 Twitterをはじめて3年が経つ。その中で幾度もおれはアカウントを変え、人格も大きく様変わりし、少しだけ大人になったと思っている。でも昔のおれは、もうすこし知的でユーモラスな人間ではなかったか。もっと喧嘩っ早くて、全方向を批判し、アナーキーを標榜している割には弱っちい人間で、おれはそんなおれを少し気に入っていたようにも思える。今もそうだ。おれは昔のおれに戻りたい。こんなみすぼらしい、ただのブ男になりたくはなかった。知的に大きく経年劣化し、喧嘩っ早さは鳴りを潜める代わりに他人にへらへらと迎合し、ユーモアのかけらもないような人間になりたくなかった。

 死にたい、と思って数年が経つ。殺してくれと思っても、もう数年が経つ。この感情の変化は、自分の人格の変化と大きく関わっている気がする。

 でもおれはもう、他人に殺される価値もない気がする。自分で死すら選べない人間がどうして他人に殺されたいなどと期待するのだろう。何もかも間違っている気がする。死にたいと思うことすら傲慢で、生きることの苦しさに延々と苛まされ続けると思う。こんな文章を書く、自意識の発露しか出来ない気持ち悪い男という自己紹介すらおれには屈折したナルシズムに思える。消えてしまいたいと思う。本当に消えてしまいたいと思っている。おれはこんな人間じゃないはずだ。もう間に合わない。こんないい回しもしょせんはおれのナルシズムにすぎないと思う。おれはもう何を言ってもナルシズムで、何を思ってナルシズムな人間なんだ。もう何も考えてものをしゃべらないことにする。おれは本能のままに振る舞いたいと思う。こんな苦しみを味わい続けるならそっちのほうがマシだ。誰かおれを助けてくれ。