妄想サンバ

助走をつけた妄想がやがて暴走していく文章になる

人生が楽しくない

 人生が楽しくないというより生きることがもはや苦痛で、もう何もしたくないという精神状況に近くなってきた。だから最近引きこもりのような生活を送っている。相変わらず腹は減って飯は食うしジュースもガブガブ飲むしインターネットサーフィンもやってアニメも見る。だけど何か楽しくないという感覚がする。

 おれは今高校3年生だから受験生な訳で受験勉強もしなくちゃいけないけど、そんなことすら手を付けられず机の前に座ってはいられないし、参考書に目を通してみても全く集中出来なくて自分の能力の低さに対して自暴自棄になり、日中はずっと布団の中にいる生活をずっと送っている。

 こういうことを書くと、「それは単にお前が怠け者なだけで、どうしようもない怠け癖がついているだけだ。現に今のお前はインターネットを通じてブログを書くし、起きている限りはTwitter2ちゃんねるに常駐しているじゃないか。それなのに勉強だけ出来ないのはおかしい。お前が怠けているだけだ」と言われる。

 言いたいことは分かる。確かにおれは怠け者だろうし、怠け癖もあるだろう。だけど、今まで、ここまで怠け癖が発揮されたことはなかった。日中は布団にくるまり、一日一食しか口にせず、風呂にも入らず、22時頃にようやく起床して、何かごちゃごちゃ始めるというのは、完全に異常だし、単に怠け癖で判断できる精神状態なのかすら疑わしくなってきた。

 つまり、人生が楽しくない。生きていることが苦痛で、願わくば死にたいとすら思う。いや、死にたいというのはもうおれの中では恒常的にある感情で、ある人から死にたがりなどと揶揄されるけど、何か異常な感じがする。おれの精神が明らかにおかしい。

 こう言うと、「お前は針小棒大的に語りすぎ。そうやって物事を大きく語ることで誰かから構ってもらいたいんだろ」と言われてしまう気がする。そうかもしれない。むしろそうであって欲しい。いや、こうやっておれの精神状態やそれに対する反応を書くことがもうそういう連環の中にいると思う。おれはおれの自意識の中にそういう悪種類の自己顕示欲が存在することは認めるし、それについて日々自己嫌悪を起こしている。構ってもらいたいという自己顕示欲を自己嫌悪するための文章すら、誰かに対する自己顕示欲の発散であるし、そうした文章を今ここで非難することも、また自己顕示欲の発散であるのかもしれない。というかそうだと思う。もう、今書いている途中で自己嫌悪が湧いて出ている。無限ループのような構造を持っている。

 おれは死にたいと度々言ってきた。でも生きている。死にたいのに死ねなかった。死ぬ勇気がなかった。包丁を持っていても、住んでいるマンションの屋上に忍び込んで下を覗いてみても、おれは死ぬことすらままならず、醜く生きている。

 生まれてこなけりゃよかったと思う。誰か殺してくれないか。おれはもう生きたくない。死にたい。でも死ねない。死ぬ勇気さえもない。また自己嫌悪に陥っていく。おれは生きていてはいけない存在なんだ。おれさえ死ねば周りの人間が幸せになるんだ。これも自己顕示欲の発露かもしれない。というかそうだ。自己嫌悪。自己嫌悪。

 本当に、人生が楽しくない。